人材版伊藤レポートとは|3P・5Fと2.0の違い、有報の人的資本開示(平均給与は前期比中央値+3.2%)

人材版伊藤レポートは、2020年9月に経済産業省が公表した「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会 報告書」の通称です。座長は2014年の伊藤レポートと同じ伊藤邦雄氏で、人材を「資源」ではなく「資本」と捉え、経営戦略と人材戦略を連動させるよう経営陣に求めました。
中身は「3つの視点・5つの共通要素(3P・5Fモデル)」に整理されています。2022年5月の人材版伊藤レポート2.0は、それを実行に移すための31の取組を示した続編です。報告書に強制力はありませんが、考え方はコーポレートガバナンス・コードの改訂に反映され、有価証券報告書(有報)の人的資本の開示も同じ方向で広がってきました。
有報では2023年3月期から人材育成方針と指標・目標の記載が必須になり、2026年3月期からは人材戦略、給与の決定方針、平均年間給与の前期比増減率が加わりました。2026年6〜7月に提出された3月期決算の上場企業2,034社の有報を集計すると、平均年間給与の増減率は中央値で+3.2%、17.9%の会社はマイナスでした(KabuGraph集計)。
この記事では、報告書の中身を原本のページに沿って整理し、投資家が有報のどこで何を見ればよいかを日立製作所とソニーグループの実例で解説します。
この記事の内容(目次)
人材版伊藤レポートとは——2020年9月、経産省が「人材は資本」と打ち出した報告書
人材版伊藤レポートは通称です。正式名称は「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会 報告書 ~人材版伊藤レポート~」で、経済産業省が2020年9月に公表しました(経済産業省「人材版伊藤レポート」報告書、8ページの概要版、経済産業省「人的資本経営」)。
公表:2020年9月(経済産業省)
座長:伊藤邦雄(一橋大学大学院経営管理研究科 特任教授、当時)。2014年の伊藤レポートと同じ座長
検討:2020年1月17日〜7月16日に全6回。大手企業のCHRO(最高人事責任者)、ニッセイアセットマネジメント・ブラックロック・ジャパン・フィデリティ投信などの機関投資家、コンサルタントらが委員を務め、金融庁の企業開示課がオブザーバーに入った(報告書 p.45〜46)
対象:主に上場企業、特にグローバル市場で戦う企業。非上場企業にも基本的な考え方は参考になるとしている(同 p.5)
構成:第1章 変革の方向性/第2章 経営陣・取締役会・投資家が果たすべき役割/第3章 3つの視点と5つの共通要素
出発点は「人材の『材』は『財』である」という認識です(同 p.4)。人材を「人的資源(Human Resource)」と捉えると、今あるものを使い、消費する発想になり、人材に投じるお金も「費用」とみなされます。報告書は、人材は教育や日々の業務を通じて成長し価値を生む「人的資本(Human Capital)」であり、人材に投じる資金は価値創造に向けた「投資」になると書きました(同 p.9)。
この考え方に立つ経営が人的資本経営です。経済産業省は「人材を『資本』として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方」と定義しています(経済産業省「人的資本経営」)。座長の伊藤氏は、人材版の公表後に「人的資本」「人的資本経営」という言葉が頻繁に使われるようになったと振り返っています(人材版2.0 p.1)。
報告書はそのうえで、人材マネジメントの変革の方向性を6つの「〜から〜へ」で示しています(報告書 p.9〜16)。
目的:人的資源・管理 → 人的資本・価値創造
アクション:人事 → 人材戦略
イニシアティブ:人事部 → 経営陣・取締役会
ベクトル・方向性:内向き → 積極対話(従業員や投資家に人材戦略を発信する)
個と組織の関係性:相互依存 → 個の自律・活性化
雇用コミュニティ:囲い込み型 → 選び、選ばれる関係
背景には、日本企業の従業員エンゲージメントの低さがあります。報告書が引く米ギャラップ社の2017年の調査では、日本の「熱意あふれる社員」の割合は6%で、139か国中132位でした(同 p.14 注4)。
2014年の伊藤レポートはROE8%と企業・投資家の対話を求めた報告書で、人材版はその考え方を「人材」に広げたものです。座長の伊藤氏は人材版2.0への寄稿で、議論をコーポレートガバナンス改革と企業価値創造の文脈に置き、人材の変革に「資本市場の力を借りようと試みた」と振り返っています(人材版伊藤レポート2.0 p.2)。系譜の全体と、伊藤レポートがROE・PBRに与えた影響は次の記事で扱っています。

伊藤レポートとは|ROE8%提言と2.0・3.0・人材版の違い、東証のROEは公表時7.6%→8.7%に
伊藤レポートは2014年8月に経済産業省が公表し、最低限8%を上回るROEを求めた報告書です。2.0・人材版・3.0の違い、CGコード・東証要請との関係、東証のROEが公表時7.6%→8.7%、PBRが1.2倍→1.8倍になった推移とPERの寄与まで。

伊藤レポート2.0とは|無形資産・ESG投資の2017年報告書、価値協創ガイダンス6項目の使い方と人材版2.0との違い
伊藤レポート2.0は2017年10月に経済産業省が公表した無形資産・ESG投資の報告書です。費用処理で削られやすい無形資産投資の問題、価値協創ガイダンス6項目、8つの提言、TOPIX500のPBR1倍割れ38%→19%の変化、人材版2.0との違いまで。
3つの視点・5つの共通要素(3P・5Fモデル)とは
報告書の中心は、人材戦略を「3つの視点(Perspectives)」と「5つの共通要素(Common Factors)」で点検する「3P・5Fモデル」です(報告書 p.32〜44)。視点は人材戦略が経営とつながっているかを問う軸、共通要素はどの会社の人材戦略にも共通する中身です。
3つの視点——経営戦略・数字・企業文化
視点① 経営戦略と人材戦略の連動:人材戦略は会社ごとに違って当然で、自社のビジネスモデルと経営戦略から考える(報告書 p.33)
視点② As is–To be ギャップの定量把握:目指す姿(To be)と現状(As is)の差を、KPIを使ってできるだけ数字でつかむ。策定時だけでなく実行の途中でも測り直す(同 p.33〜34)
視点③ 企業文化への定着:企業文化は人材戦略を実行する過程で育つ「アウトカム」で、これにもKPIを置いて検証する(同 p.34)
視点②の例として、報告書は日立製作所の「2021年度までにデジタル人材3万人、データサイエンティスト3千人、AI等研究分野のデジタル人材2千人」という目標を挙げ、中期経営計画の進捗発表で現状と目標を発信していると紹介しました(同 p.34)。目標と現状を数字で並べるこの形は、後で見る有報の「指標及び目標」で求められる書き方と同じです。
5つの共通要素——人材戦略の中身
① 動的な人材ポートフォリオ:将来の経営戦略から逆算して必要な人材の質と量を定義し、採用・育成・配置で埋める。M&Aやスピンオフも選択肢に入る(同 p.35)
② 知・経験のダイバーシティ&インクルージョン:女性や外国人といった属性だけでなく、他業界での経験や専門分野の多様性も取り込み、イノベーションにつなげる(同 p.36)
③ リスキル・学び直し:目指す将来と現在のスキルの差を埋める。社員が社外でも通用する力を持ち、ある程度の人材の流動性があることは健全だとも書いている(同 p.38〜39)
④ 従業員エンゲージメント:会社の目指す姿や方向性に共感し、自発的に貢献しようとする意識を高める(同 p.14、p.41)。2.0では「社員エンゲージメント」と書いている
⑤ 時間や場所にとらわれない働き方:コロナ禍で明確になった要素。リモートワークでも仕事が完結する業務プロセスとマネジメントを整える(同 p.43)
報告書が投資家に求めたこと
第2章は、経営陣・取締役会と並べて投資家が果たすべき役割に1節を割いています(同 p.27〜29)。
S(社会)の要因を重視する:ESGのうち注目されがちだったE(環境)に対し、S要因が企業価値と密接に結びつくとの指摘を紹介。S要因の評価が高い企業の2020年4〜6月の株価がTOPIXを6%近く上回ったという運用会社の調査も引いている(同 p.27)
開示資料だけでは判断が難しい:人材戦略の意図や狙いは外から読み取りにくいので、経営陣や人事部門が進捗管理に使っている指標も参考に、対話の中で確かめる(同 p.28)
対話の3つの観点:①ビジョンや存在意義(パーパス)が社員に浸透しているか ②人材戦略が経営戦略と整合しているか(タレントマネジメント、リスキル、人材の流動性は十分か) ③人材戦略を通じて企業価値が創造されているか(同 p.29)
個人投資家が経営陣と直接話す機会は限られますが、この3つの観点は、統合報告書や有報の人的資本の記載を読むときの問いとしてそのまま使えます。機関投資家が投資先とどう対話するかの原則はスチュワードシップ・コードで扱っています。
人材版伊藤レポート2.0(2022年5月)——3P・5Fを実行に移す31の取組
人材版伊藤レポート2.0は、経済産業省が2022年5月13日に公表した「人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書」です(経済産業省 ニュースリリース 2022年5月13日(Internet Archive保存版))。2021年7月から全9回の検討会で、3P・5Fを「どう実行に移すか」を議論しました(人材版2.0 p.3)。人材版との違いは次のとおりです。
位置づけ
人材版:何を目指すか(変革の方向性と3P・5Fの枠組み)
人材版2.0:どう実行するか(取組のアイデアと実践事例)
中身
人材版:変革の方向性、経営陣・取締役会・投資家の役割、3P・5F
人材版2.0:3P・5Fの8項目それぞれに取組を並べ、合計31。取組ごとに「概要」「重要性」「有効な工夫」を書いている(同 目次)
事例
人材版:日立製作所・ソニー・中外製薬・富士通などの取組を本文中で紹介
人材版2.0:「実践事例集」を別冊で付け、本文でも伊藤忠商事・KDDI・日立製作所・ソニーグループ・丸井グループなどを取組ごとに挙げている
2.0は「全ての項目にチェックリスト的に取り組むことを求めるものではない」と断ったうえで(同 p.10)、最も重要なのは3つの視点の1つ目「経営戦略と人材戦略を連動させるための取組」で、なかでもCHROの設置と全社的な経営課題の抽出が最も重要なステップだとしています(同 p.11)。
31の取組のうち、投資家が外から確かめやすいものは次のとおりです。
CHRO(最高人事責任者)の設置:経営陣の一員として人材戦略の策定と実行を担い、社員や投資家との対話を主導する責任者を置く(同 p.12)
KPIの設定と、その背景・理由の説明:他社の開示でよく使われるKPIは「あくまで参考情報」とし、自社の企業価値向上のストーリーが伝わる自社固有のKPIを置く(同 p.26〜27)
KPIごとの目標と達成までの期間:目標の状態と期限を決め、現状との差を経営陣・取締役会で定期的に確かめる(同 p.15)
役員報酬への人材KPIの反映:経営陣の報酬の一部を人材のKPIに連動させ、KPIの達成状況と報酬の変動幅の関係(インセンティブカーブ)も開示する(同 p.14、p.34)
指名委員会の委員長に社外取締役:将来の経営を担う人材が後継者に選ばれているかを、社外取締役が検証できるようにする(同 p.14)
報告書から開示ルールへ——CGコード改訂と有報の人的資本開示
人材版伊藤レポートは研究会の報告書で、法令や上場規則ではありません。企業に対応や開示を求める仕組みになったのは、その後のコーポレートガバナンス・コード(CGコード)の改訂と、有報の記載事項を定める内閣府令(開示府令)の改正です。
2020年9月:人材版伊藤レポート
2021年6月:CGコード改訂。中核人材の多様性(女性・外国人・中途採用者の管理職への登用)の考え方と測定可能な目標、人材育成方針・社内環境整備方針の開示、人的資本への投資の開示などが盛り込まれた(人材版2.0 p.5〜6)。座長は、人材版がこの改訂に反映されたと書いている(同 p.2)
2022年5月:人材版伊藤レポート2.0
2022年8月:伊藤邦雄氏を発起人代表に、企業と投資家が参加する「人的資本経営コンソーシアム」が設立(8月25日、会員356、2026年6月1日時点)。内閣官房が開示の考え方をまとめた「人的資本可視化指針」を策定(8月30日)
2023年1月:金融庁が開示府令を改正。2023年3月期の有報から、人材育成方針・社内環境整備方針とその指標の記載が必須になった。女性活躍推進法などで女性管理職比率・男性の育児休業取得率・男女の賃金の差異を公表している会社は、それらも有報に載せることになった(金融庁 2023年1月31日)
2026年2月:金融庁が開示府令を再び改正。2026年3月期の有報から、連結の人材戦略、従業員の給与等の決定方針、平均年間給与の対前年増減率が加わった(金融庁 2026年2月20日)
2026年3月:内閣官房・金融庁・経済産業省が人的資本可視化指針を改訂。他社と比べられる指標(従業員数・離職率・労務費総額など)と、自社の経営戦略に基づく独自性のある指標をバランスよく組み合わせて開示することが重要だとし、独自性は単に他社と違う指標を出すことではなく、自社の成長ストーリーを事実に基づいて説明するためのものだと書いている(人的資本可視化指針(改訂版) p.7、内閣官房 2026年3月23日)
2026年7月:CGコード改訂。原則2-2で多様性の確保の目標と人材育成方針・社内環境整備方針の開示を求め、原則4-1は成長投資の例に人的資本への投資を挙げている(東京証券取引所「コーポレートガバナンス・コード」2026年7月21日)
2026年の開示府令の改正は、2025年6月の政府の「骨太の方針」や「コーポレートガバナンス改革の実践に向けたアクションプログラム2025」の提言を受けたものです(金融庁 2026年2月20日)。人材版が「経営陣が投資家に発信すべき」とした経営戦略と連動した人材戦略は、2026年3月期から有報の法定の記載事項にもなりました。CGコード全体の成り立ちと中身は次の記事で扱っています。

コーポレートガバナンス・コードとは|2026年改訂で83原則→30原則に、独立社外取締役3分の1以上の会社は6.4%→98.8%
コーポレートガバナンス・コードは東証が定める上場企業の行動原則で、実施しない原則は理由を説明すれば足ります。2026年7月の改訂で補充原則を廃止し83原則→30原則に。市場区分ごとの適用、CG報告書の読み方、独立社外取締役3分の1以上の会社が6.4%→98.8%に増えた変化まで。
有価証券報告書のどこを見るか——2026年3月期からは2か所
2026年3月期の有報(2026年6月提出分)から、人的資本の情報は主に2か所に載っています。第2【事業の状況】の「サステナビリティに関する考え方及び取組」と、新しくできた第4【提出会社の状況】の「5 従業員の状況等」です。
サステナビリティ欄——人材戦略のKPIと目標・実績
開示府令は、人材育成方針・社内環境整備方針を「戦略」に、その方針に関する指標の内容と、指標を使った目標・実績を「指標及び目標」に書くよう求めています(金融庁 改正府令 別紙2 p.11)。
日立製作所の2026年3月期の有報は、経営計画「Inspire 2027」の人財施策ごとにKPIを置き、特に重要なものを2027年度の目標と2025年度の実績で並べています(日立製作所 2026年3月期 有価証券報告書 p.31)。
AIプロフェッショナル人財:2027年度に5万人の目標に対し、2025年度は約3万9,000人
従業員エンゲージメントスコア:目標80.0ポイントに対し73.3ポイント。2024年度から1.8ポイント上がった(同 p.29)
成長戦略を実現するグローバルリーダー数:目標1,000人に対し約550人
2020年の人材版で「デジタル人材3万人」の目標を紹介された日立は、6年後の有報でも、経営計画に結びついた人材の数値目標と進捗を開示しています。目標に届いていない項目があること自体は問題ではありません。報告書が書くとおり、ギャップの大小よりも「どのような時間軸で、どのようにギャップを埋めていくのか」(人材版 p.20)が説明されているかが読みどころです。

日立製作所(6501)の企業分析|Lumada売上比率50%へ、エナジー事業急伸で時価総額25兆円規模に達した変革の全貌
日立製作所(6501)のLumada/DX成長戦略、セグメント別業績、日立エナジー受注残10兆円の構造、2027年3月期第1四半期決算と上方修正、投資リスクを個人投資家向けに解説します。
従業員の状況等——人材戦略・給与の方針と平均年間給与
新設の「5 従業員の状況等」は2つに分かれます(改正府令 別紙2 p.13〜14)。
(1)人材戦略に関する基本方針等:連結会社の人材戦略を経営方針・経営戦略に関連付けて具体的に書き、従業員の給与などの決定に関する方針も書く。サステナビリティ欄など他の箇所に書いた内容は、参照で済ませられる
(2)従業員の状況:従業員数、提出会社の平均年齢・平均勤続年数・平均年間給与に加えて、平均年間給与の対前事業年度増減率。女性管理職比率・男性の育児休業取得率・男女の賃金の差異(女性活躍推進法などで公表している会社)もここに移った
日立は(1)で、人財戦略はサステナビリティ欄への参照とし、給与の決定方針として「市場競争力の確保」「ペイ・フォー・パフォーマンス」「透明性の維持」の3原則からなる「グローバル報酬フィロソフィー」を載せています(日立 有報 p.107)。(2)では、提出会社の従業員2万5,934人の平均年間給与が994万9,714円、前期比+3.5%でした(同 p.108)。
同じページの多様性の指標は、範囲によって数字が大きく違います。管理職に占める女性の割合は、グループ全体の17.4%に対し日本国内連結は6.8%、提出会社単体は8.9%です(同 p.108〜109)。どの範囲の数字かを確かめずに他社と比べると、判断を誤ります。
持株会社は「最大人員会社」の数字まで読む
持株会社の提出会社は社員がグループの管理部門に限られ、平均年間給与が高めに出がちです。そこで改正府令は、持株会社には、国内の連結子会社で従業員が最も多い会社(その会社がグループ全体の過半数に満たなければ次に多い会社も)の平均年間給与と増減率の記載も求めています(改正府令 別紙2 p.13)。ソニーグループの有報では次のようになっています。
会社 | 従業員数(人) | 平均年間給与(万円) | 前期比(%) |
|---|---|---|---|
ソニーグループ(提出会社) | 2,166 | 1,155 | +3.3 |
ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング | 9,265 | 762 | +2.9 |
ソニーセミコンダクタソリューションズ | 7,420 | 1,004 | +3.2 |
連結の従業員約9万4,900人に対し、提出会社は2,166人です(ソニーグループ 2026年3月期 有価証券報告書 p.122)。持株会社の数字だけで「給与水準が高い会社」と判断せず、最大人員会社の行まで読んでください。

ソニーグループ(6758)の企業分析|ゲーム・音楽・イメージセンサーの三本柱で営業利益1.4兆円、エンタメ×テクノロジーの王者
ソニーグループ(6758)の5セグメント構造、ゲーム・音楽・I&SSの成長ドライバー、営業利益過去最高の背景、TSMCとの熊本合弁と5,000億円の自社株買いまで解説します。
2026年3月期の平均年間給与はどれだけ増えたか——上場企業の有報を集計
新設された「平均年間給与の対前事業年度増減率」を、2026年6月1日〜7月10日に提出された3月期決算の上場企業の有報(XBRL)から集計しました。集計できた2,034社の中央値は+3.2%で、真ん中の半分の会社は+1.0%〜+5.6%に収まります。
平均年間給与の対前事業年度増減率の分布(2026年3月期、提出会社)
マイナスの会社は17.9%。増減率が+5%以上の会社は30.9%
市場別の中央値:プライム+3.4%(1,023社)、スタンダード+2.9%(857社)、グロース+2.8%(154社)
業績との関係:2026年3月期に営業増益だった会社の中央値は+3.6%(1,185社)、減益だった会社は+2.4%(589社)。営業利益は決算短信の通期実績で、前期が黒字の会社に限って比べた
投資家は人的資本の開示をどう読むか——5つのチェック
人件費は損益計算書では費用です。人的資本可視化指針(改訂版)の別紙は、同じ業種で同じ利益を出す2社でも、必要な人的資本投資をしているかどうかで将来の成長や持続可能性は異なり得るのに、それは財務諸表からは分からないと書いています。人的資本への投資は、足元の利益を確保するために抑えられたり後回しにされたりしがちだからです(内閣官房・金融庁・経済産業省「戦略に焦点をあてた人的資本開示」 p.6)。有報の人的資本の記載は、この「決算書に出ない差」を見るための材料です。
人材戦略が経営戦略の言葉で書かれているか:「多様な人材の活躍を推進」で終わらず、どの事業のために、どんな人材が、いつまでに何人必要かまで書いているか(視点①)
KPIに目標・期限・実績がそろっているか:日立のように目標年度と直近の実績を並べ、差をどう埋めるかを説明しているか(視点②)
平均年間給与の増減率を業績と並べる:給与の伸びが利益の伸びを上回る状態が続けば利益率は下がる。逆に増益が続くのに給与が伸びない会社は、人材の確保で後れをとるおそれがある
役員報酬に人材のKPIが入っているか:ソニーは人材版(2020年)で、従業員エンゲージメントのスコアを経営幹部の報酬に組み込んだ例として紹介された(人材版 p.26)。2026年3月期の有報でも、上級役員の業績連動報酬の評価指標に、人的資本への投資やエンゲージメント指標を含むサステナビリティ評価を使っている(ソニーグループ 有報 p.17)
数字の範囲と注記を確かめる:提出会社単体か、連結か、国内だけか。男女の賃金の差異は、同じ人事制度でも管理職や短時間勤務の男女比で差が出る(日立は注記でそう説明している、日立 有報 p.108)
伊藤座長は公表10年の振り返り(2024年5月)で、「この10年間、株主還元は増えたが、成長投資(人的資本投資を含めて)への資本分配が不十分だったのではないか」と問題提起し、それが市場の将来期待(PER)が高まらなかった一因ではないかとしています(経済産業省「伊藤レポート以降の10年間の振り返り」、ROE・PERとの関係は伊藤レポートとは)。人的資本への投資を目標と実績で説明できるかは、会社が成長の道筋を投資家に示せるかどうかの試金石の一つです。
日立のKPIには、従業員向けの株式報酬(RSU)や持株制度(ESPP)の対象人数も入っています。社員に自社株を持ってもらう仕組みの基本は次の記事で解説しています。

従業員持株制度とは|奨励金5〜10%の仕組みと加入前に知るべきリスク
従業員持株制度(持株会)の仕組み・奨励金・税金・メリット・デメリットをわかりやすく解説。上場企業の約8割・加入者330万人の制度を加入前に知るべき情報がわかります。
人的資本の開示を支える人事システム(タレントマネジメントシステム)の市場と関連銘柄は、次の記事で扱っています。

【投資テーマ解説】タレントマネジメントシステム|国内市場447億円・人的資本開示の追い風で成長するHR Tech関連銘柄
国内タレントマネジメントシステム市場は2026年に447億円規模へ拡大。人的資本開示の義務化を追い風に、プラスアルファ・コンサルティング、ラクス、freeeなど主要関連銘柄の事業規模と投資ポイントを解説します。
まとめ
人材版伊藤レポートは2020年9月に経済産業省が公表した報告書(座長・伊藤邦雄)。人材を「資本」、人材への支出を「投資」と捉え、経営戦略と人材戦略の連動を求めた
中身は3つの視点(経営戦略との連動・As is–To beギャップの定量把握・企業文化への定着)と5つの共通要素。報告書は投資家にも、人材戦略が企業価値につながっているかを対話で確かめるよう求めた
人材版伊藤レポート2.0(2022年5月)は、3P・5Fを実行に移す31の取組を示した続編。最重要はCHROの設置と全社的な経営課題の抽出。2017年の「伊藤レポート2.0」とは別物
報告書に強制力はないが、有報では2023年3月期から人材育成方針と指標・目標、2026年3月期から人材戦略・給与の決定方針・平均年間給与の増減率が載るようになった
2026年3月期の平均年間給与の増減率は、上場企業2,034社の中央値で+3.2%。持株会社は最大人員会社の数字まで読み、平均年齢や人員の変化と並べて見る
投資家は、人材戦略が経営戦略の言葉で書かれているか、KPIに目標・期限・実績があるか、役員報酬に人材KPIが入っているかを確かめる








