伊藤レポートとは|ROE8%提言と2.0・3.0・人材版の違い、東証のROEは公表時7.6%→8.7%に

伊藤レポートは、2014年8月に経済産業省が公表した「企業と投資家の関係」についての報告書です。座長を務めた伊藤邦雄・一橋大学大学院教授(当時)の名前からこう呼ばれ、日本企業に「最低限8%を上回るROE(自己資本利益率)」を求めたことで知られます。
その後、伊藤レポート2.0(2017年)・人材版(2020年)・3.0(2022年)と続編が出ています。ROE8%と対話の考え方は、コーポレートガバナンス・コード(2015年)や東証の「資本コストや株価を意識した経営」の要請(2023年)に引き継がれました。
東証一部・プライム市場の加重ROEは、公表時の2014年8月の7.6%から2026年8月の8.7%に上がりました(公表前の2013年8月は5.2%)。PBRは同じ期間に1.2倍から1.8倍になりましたが、公表時から見ると、PBRの上昇にはROEよりPER(16.1倍→20.8倍)の上昇が大きく効いています(JPXの月次統計よりKabuGraph算出)。
ただし、プライム市場でもROE8%未満の企業が43%残っています(東証、2026年3月時点)。この記事では、報告書の中身と系譜、同じ時期の制度、その後の市場の変化と企業がROEを上げた方法をデータで確かめ、銘柄選びでの使い方までまとめます。
この記事の内容(目次)
伊藤レポートとは——2014年に経産省が公表した「企業と投資家」の報告書
伊藤レポートは通称です。正式には、経済産業省の「持続的成長への競争力とインセンティブ〜企業と投資家の望ましい関係構築〜」プロジェクトの最終報告書を指します(経済産業省「伊藤レポート」最終報告書)。
公表:2014年8月(経済産業省)
座長:伊藤邦雄(一橋大学大学院商学研究科 教授、当時)。続編の2.0・人材版・3.0でも座長を務め、3.0(2022年)の時点では一橋大学CFO教育研究センター長
検討:2013年7月から約1年、総会16回。企業経営者・機関投資家・アナリスト・学識者が参加
分量:PDFで104ページ(基本メッセージ・要旨・本文・参考資料)
出発点は「持続的低収益性」というパラドックスです。日本は世界有数のイノベーション創出力を持ちながら、ROA(総資産利益率)や売上高営業利益率では欧米企業と「ほぼ倍の格差」が20年続いている、と報告書は指摘しました(伊藤レポート 最終報告書 p.1)。
収益力が低いから投資家は長期で持たずに短期売買に走り、企業も短期志向になって長期の投資を控え、さらに収益が落ちる。この悪循環を企業と投資家の両側から断つことが、報告書の狙いでした。
伊藤レポートの提言——ROE8%・対話・インベストメント・チェーン
報告書の冒頭には6つの「基本メッセージ」が並びます。投資家に直接かかわるのは、ROE8%、企業と投資家の対話、インベストメント・チェーンの3つです。
ROE8%以上に「コミット」する
最もよく引用されるのが次の一文です。
「個々の企業の資本コストの水準は異なるが、グローバルな投資家から認められるにはまずは第一ステップとして、最低限8%を上回るROEを達成することに各企業はコミットすべきである」(伊藤レポート 最終報告書 p.6)
8%は「目標」ではなく「最低限」と書かれ、すでに上回っている企業はさらに高い水準を目指すべきだとしています。同じページで、日本企業のROEは「1年前まで長い間にわたって5%を割る低水準」だったと振り返っています。
8%の根拠は、グローバルな機関投資家が日本企業に期待するリターン(株主資本コスト)の平均が7%超というアンケート結果で、ROEが8%を超えれば約9割の投資家の期待を上回るという計算です(同 p.13)。根拠の詳しい読み方と、業種ごとの目安は次の記事で扱っています。

ROEの目安は何%?|伊藤レポート8%基準と業種別データで見る合格ライン
ROEの目安を業種別データで解説。伊藤レポートが示した8%基準の根拠、東証33業種のROE中央値一覧(全業種7.8%、情報・通信11.1%、医薬品−0.9%)、ROEが高い業種・低い業種の構造的理由、高ROEでも注意すべきケースまで網羅します。
企業と投資家の「協創」と「高質の対話」
ダブルスタンダード経営との決別:投資家の前ではROEを語り、社内では別の指標で動く二重基準をやめる
対話は双方向に:説明会の一方的な質疑ではなく、資本コストの考え方や内部留保の使い道まで踏み込んで話し合う(同 p.21)
制度づくりの提言:日本版コーポレートガバナンス・コードの導入を検討すべきだとした(同 p.22)
統合報告の推奨:非財務情報も含めて企業価値創造のシナリオを伝える「統合報告」を、取り組むべき重要なテーマに挙げた(同 p.8、p.20)。上場企業が出す統合報告書(統合レポート)は、個人投資家が経営の長期の考え方を読める資料でもある
内部留保については「株主は、内部留保が資本コストを上回るパフォーマンスをあげることを『期待』している」と書き、ため込んだ利益をどう使うかが経営者の力量を測る試金石だとしました(同 p.6)。
インベストメント・チェーンを全体で変える
インベストメント・チェーンとは、資金の出し手(家計)から、資金を事業に使う企業までの経路とつながりのことです(同 p.8)。年金などのアセット・オーナー、運用会社、アナリスト、企業のどこか1か所が弱いと、そこが「律速」になって全体の価値を損なう、と報告書は書いています。
個人投資家にとって見逃せないのは、報告書が個人を企業価値創造の「応援団」と位置づけた点です。800兆円を超える個人の預貯金が株式に向かい、個人が分析力とモニタリングの意識を高めれば、チェーン全体の水準が上がるとしています(同 p.9)。
伊藤レポート2.0・人材版・3.0の違い
経済産業省はその後も「伊藤レポート」の名を冠した報告書を出しています(2.0・人材版・人材版2.0・3.0の座長もすべて伊藤邦雄氏)。テーマは「ROE」から「無形資産・ESG」「人材」「サステナビリティ」へと広がりました。
通称 | 公表 | 主なテーマ |
|---|---|---|
伊藤レポート | 2014年8月 | ROE8%・企業と投資家の対話 |
伊藤レポート2.0 | 2017年10月 | 無形資産・ESGへの長期投資 |
人材版伊藤レポート | 2020年9月 | 経営戦略と人材戦略の連動 |
人材版伊藤レポート2.0 | 2022年5月 | 人的資本経営の実践 |
伊藤レポート3.0 | 2022年8月 | SX(サステナビリティ変革) |
伊藤レポート2.0(2017年10月)——無形資産とESGへの長期投資
正式名称:持続的成長に向けた長期投資(ESG・無形資産投資)研究会 報告書(2017年10月26日)
問題意識:競争力の源泉が工場などの有形資産から、研究開発・人材・ブランドなどの無形資産へ移った。無形資産への投資の多くは費用として処理されるので、目先の利益だけを見ると削られやすい
成果物:企業と投資家の「共通言語」として価値協創ガイダンスを策定した(2017年5月、報告書に先立って公表)
投資家目線:TOPIX500の約4割がPBR1倍割れ(2017年3月時点)と、市場の期待の低さを数字で示した(伊藤レポート2.0 p.33)
人材版伊藤レポート(2020年9月)と2.0(2022年5月)——人的資本経営
人材版:持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会 報告書。人材を「資本」と捉え、経営戦略と人材戦略を連動させるよう求めた
3つの視点:経営戦略との連動/目指す姿と現在の人材とのギャップの把握/企業文化への定着
5つの共通要素:動的な人材ポートフォリオ/知・経験のダイバーシティ&インクルージョン/リスキル・学び直し/社員エンゲージメント/時間や場所にとらわれない働き方(人材版伊藤レポート2.0 p.8〜9)
人材版2.0:人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書。3つの視点・5つの共通要素を実行に移すためのアイデアを、実践事例集とともに示した(経済産業省「人的資本経営」)
投資家目線:2023年3月期の有価証券報告書から、人材育成方針・社内環境整備方針とその指標の記載が必須になり、女性活躍推進法などで公表している女性管理職比率・男性の育児休業取得率・男女間賃金格差も載るようになった(金融庁 開示府令改正 2023年1月31日)
伊藤レポート3.0(2022年8月)——SX(サステナビリティ・トランスフォーメーション)
正式名称:サステナブルな企業価値創造のための長期経営・長期投資に資する対話研究会(SX研究会)報告書(2022年8月30日)
SXとは:社会のサステナビリティと企業のサステナビリティを「同期化」させ、そのために経営・事業を変革すること(伊藤レポート3.0 p.2)
成果物:価値協創ガイダンス2.0を同時に公表。経済産業省と東証は2024年から「SX銘柄」を選び、初回は味の素・日立製作所など15社だった(JPX「SX銘柄2024」の公表について)
投資家目線:気候変動や人権への対応を、稼ぐ力を長く保つための経営課題として説明できているかを見る材料になる
同じ時期に動いた制度——SSコード・CGコード・東証の要請
伊藤レポートは考え方を示した報告書で、企業に対応を求める仕組みをつくったのは金融庁と東証です。伊藤レポート自身が、スチュワードシップ・コードの策定を「一つの前進」と評価し、コーポレートガバナンス・コードの導入検討を提言していました(最終報告書 p.4、p.22)。
2014年1月:JPX日経インデックス400の算出開始。銘柄選定のスコアの40%に3年平均ROEを使う(JPX日経インデックス400)
2014年2月:金融庁が日本版スチュワードシップ・コードを策定。機関投資家に投資先企業との対話を求める(金融庁 スチュワードシップ・コード)
2014年8月:伊藤レポート
2015年6月:コーポレートガバナンス・コードの適用開始。原則5-2で収益力・資本効率の目標を示すよう求めた。2018年の改訂で「自社の資本コストを的確に把握」が加わり、2021年にも改訂(JPX コーポレートガバナンス・コード)
2022年4月:東証がプライム・スタンダード・グロースの3市場に再編(JPX 新市場区分の始動)
2023年3月:東証がプライム・スタンダードの全上場会社に「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」を要請。「プライム市場の約半数、スタンダード市場の約6割の上場会社がROE8%未満、PBR1倍割れ」と指摘した(東証 2023年3月31日 p.2)
2023年7月:JPXプライム150指数の算出開始。エクイティ・スプレッド基準で選ぶ75銘柄は、ROEが8%を超えることが条件(JPXプライム150指数)
2026年4月:東証が要請をアップデートし、「経営資源の適切な配分」を中心に投資家の期待を整理(東証 2026年4月28日)
2026年7月:コーポレートガバナンス・コード改訂。成長投資と経営資源の配分を取締役会の役割として明記(金融庁・東証「成長投資の促進に向けたコーポレートガバナンス・コードの改訂について」)
2023年の東証の要請は、伊藤レポートと同じROE8%とPBR1倍を物差しにして現状を示し、改善策の開示を求めた点で、伊藤レポートと同じ考え方に立っています。2026年8月末時点で、プライム市場の94%(1,462社)、スタンダード市場の57%(887社)が対応を開示しています(検討中を含む。東証 開示状況 2026年8月末時点)。
ROEはどれだけ上がったか——東証一部・プライムの13年
JPXが毎月公表する「規模別・業種別PER・PBR」から、東証一部(2022年3月まで)とプライム市場(2022年4月から)の当期純利益の合計÷純資産の合計(加重ROE)を計算しました。3月期決算の実績が反映された各年8月末の値です。
東証一部・プライムの加重ROEとPBR(各年8月末)
2013年8月は5.2%。同年1月は4.6%で、伊藤レポートが「長い間にわたって5%を割る低水準」と書いた状態でした
報告書が出た2014年8月には、すでに7.6%。集計が2014年3月期の実績に入れ替わった2014年6月末に、5.2%(5月末)から急回復しました。報告書自身も「直近1年でだいぶ回復した」と書いています(最終報告書 p.6)
2018年8月に8.5%と、2013年以降で初めて8%を超えました。その後コロナ禍の減益で2020年8月は5.9%まで下がっています
プライム市場に移ってからは8%前後で推移し、2026年8月は8.65%。月次では2026年6月の8.69%が2013年以降で最も高い水準です
つまり、公表後の上昇は7.6%→8.7%の約1ポイントで、5.2%からの上昇の大半は公表前の1年に起きていました。公表後も景気や企業業績、コードや東証の要請など複数の要因が重なっており、伊藤レポートだけの効果とは切り分けられません。
加重ROEは利益の大きい大企業ほど強く効きます。企業1社ずつで数えると、8%を超えている会社はまだ半分ほどです。
ROE8%以上の企業の割合(年度別)
2025年度にROE8%以上だった企業は上場企業全体の48.2%(3,646社中1,757社)、プライム市場でも55.4%(1,533社中850社)です。東証の集計でも、プライム市場のROE8%未満の企業は2022年7月の47%から2026年3月の43%へ減っただけで、PBR1倍割れ(50%→27%)ほどは改善していません(東証 要請のアップデート p.14)。
業種ごとのROE・PER・PBRの推移は、業種別PER・PBRのページで確かめられます。
企業はROEをどう上げているのか——自社株買いと稼ぐ力の改善
ROEは「当期純利益÷自己資本」なので、上げる方法は分子の利益を増やすか、分母の自己資本を適正な大きさに絞るかの2方向です。3つの要素に分けると次のようになります。
伊藤レポートは、日本企業の低ROEの主因は回転率やレバレッジではなく「売上高利益率、つまり事業の収益力の低さ」だと分析しました(伊藤レポート 最終報告書 p.11)。ROEを指標に分解して現場まで落とし込む「日本型ROE経営」も勧めており(同 p.6)、本筋は稼ぐ力の改善です。
分母を絞る——自社株買い・増配・政策保有株式の売却
自社株買い:買い戻した株(自己株式)は取得した時点で純資産から差し引かれるので、同じ利益でもROEが上がる(その後に消却しても純資産の額は変わらない)。トヨタ自動車は2026年4月、自己株式の公開買付けで11億9,233万株を約3兆6,569億円で取得し、6月30日に12億株(消却前の発行済株式の7.60%)を消却した(トヨタ自動車 2026年4月28日)。豊田自動織機との持ち合い解消の受け皿を兼ねた買い戻し
増配:配当を増やして内部留保の積み上がりを抑える。配当の目標をDOE(株主資本配当率)で示す会社もある
政策保有株式の売却:利益を生みにくい持ち合い株を売り、得た資金を成長投資や還元に回す。東証は、政策保有株式の全売却に取り組み、得たキャッシュを成長投資や株主還元に充てる方針を開示したアシックスを事例に挙げている(東証 要請のアップデート p.9)。売っただけでは純資産は減らず、還元に回して初めて分母が縮む
ただし東証は2023年の要請で、「自社株買いや増配のみの対応や一過性の対応を期待するものではありません」と明記しています(東証 2023年3月31日 p.2)。分母を絞るだけのROE改善は、利益が伸びなければ続きません。
分子を増やす——事業の入れ替え・事業別ROIC・役員報酬
事業ポートフォリオの見直し:資本コストに届かない事業を売却・撤退し、伸びる事業に資金を寄せる。花王は2024年2月、「事業ポートフォリオの強化」の一環として茶カテキン飲料「ヘルシア」の事業をキリンビバレッジへ譲渡すると決めた(花王 2024年2月1日)
事業別のROIC管理:事業ごとに投下資本利益率を測り、資本コストと比べて投資や撤退を判断する。花王はROICで事業ポートフォリオの管理を強め、EVAの算出に使う資本コスト(WACC)を5%としている(花王「EVAおよびROICについて」2025年5月8日)。東証は、独自のROIC指標と事業別のハードルレートを資源配分に使う西武ホールディングスも事例に挙げている(東証 要請のアップデート p.9)
役員報酬に資本効率の指標を入れる:東証は要請の中で、役員報酬の算定に資本収益性や企業価値の改善に関する指標を含めることを挙げた(東証 2023年3月31日 p.5)。花王は業績連動型の株式報酬の評価に、売上高・利益とEVAの成長度などを使っている(花王「役員報酬」)
実際には両方を組み合わせることもあります。東証は、ROEの改善に向けて「営業利益の改善と自己資本のスリム化の両面から」取組みを時系列で示したTHKの開示を事例に挙げています(東証 要請のアップデート p.8)。
上場企業全体では利益率の改善が主、純資産はむしろ厚くなった
では実際に、上場企業のROEはどの要素で動いたのか。金融業を除く上場企業の決算を合算し、ROEを3つの要素に分けて年度ごとに並べました。
上場企業(金融を除く)のROEと3つの要素(年度別・合算)
売上高純利益率は4.45%(2016年度)→5.71%(2025年度)と約1.3倍
営業利益率は6.8%→7.6%と約1.1倍にとどまり、純利益率の伸びの多くは営業利益より下の段(持分法投資利益や受取配当、政策保有株の売却益、税負担の変化など)で生じている
総資産回転率は0.57回→0.55回とほぼ横ばい
財務レバレッジは3.09倍→2.64倍に低下(純資産÷総資産は32.4%→37.8%)
合算で見ると、この間のROEの上昇(2016年度7.8%→2025年度8.3%。ピークは2017年度の9.1%)は利益率の改善によるもので、レバレッジの低下がそれを一部打ち消しています。自社株買いで自己資本を絞った会社はあっても、上場企業全体では純資産の伸びが総資産の伸びを上回りました。伊藤座長の振り返りが指摘するコストカットも、利益率の改善に含まれます(後述)。
個別銘柄でROEが上がったときは、利益率が上がったのか、自己資本が減ったのかを分けて見てください。営業利益率の改善は事業の実力の変化ですが、特別利益による純利益率の上振れや、自社株買いによるレバレッジの上昇は一度きりで、借入で賄えば財務の余裕も減ります。分け方はデュポン分解で確かめられ、自己資本比率とROEの関係は次の記事で扱っています。

自己資本比率とROEの関係|高いとROEは低い?上場3,492社ではROE中央値が8%前後で横ばい
自己資本比率とROEは「ROE=ROA÷自己資本比率」の関係。上場3,492社では自己資本比率10〜80%の帯でROE中央値が7.9〜9.4%とほぼ横ばい、80%以上は6.4%。ROA・PBRとの関係、実例5社、自社株買いと東証の要請まで。
ROEは株価にどう効くのか——PBR=ROE×PERで分解する
ROEが株価に効く道筋は、次の式で説明できます。
PBR(株価÷1株当たり純資産)は、ROE(利益÷純資産)とPER(株価÷利益)の掛け算です。PERが同じなら、ROEが上がった分だけPBRが上がります。上のJPXの数字を、公表前・公表時・直近2年の時点で並べます。
時点 | 加重ROE | 加重PER | PBR |
|---|---|---|---|
2013年8月 東証一部 | 5.16% | 22.6倍 | 1.2倍 |
2014年8月 東証一部 公表時 | 7.57% | 16.1倍 | 1.2倍 |
2025年8月 プライム | 8.58% | 17.2倍 | 1.5倍 |
2026年8月 プライム | 8.65% | 20.8倍 | 1.8倍 |
起点をどこに置くかで、PBRを押し上げたのがROEかPERかの答えが変わります。
公表前の2013年8月から:PERは22.6倍→20.8倍と下がり、PBRの上昇はROEの上昇で説明できる(5.16%×22.6倍≒1.17倍、8.65%×20.8倍≒1.80倍)。ただし、そのROEの上昇の大半は公表前の1年に起きていた
公表時の2014年8月から:ROEは7.57%→8.65%(約1.14倍)、PERは16.1倍→20.8倍(約1.29倍)で、PBRの上昇にはPERの方が大きく効いている
直近1年(2025年8月→2026年8月):ROEは8.58%→8.65%とほぼ横ばいで、PBRの1.5倍→1.8倍はほぼPER(17.2倍→20.8倍)の上昇による
ROEは株価の土台で、その上にどれだけの成長期待(PER)が乗るかでPBRが決まります。ROEが資本コストを下回る会社は、利益を積み上げても株主の期待に届かず、PBR1倍割れの原因になります。

PER・PBR・ROEを図解|決算書の出どころ、4象限マップと大型株10社の実数
PER・PBR・ROEを6枚の図解で整理。3つは株価・純利益・純資産の割り算で、PBR=PER×ROEは約分で成り立ちます。PER×PBRの4象限マップと、中外製薬(PBR5.17倍)・日本郵政(0.75倍)など大型株10社の実数(2026年9月28日時点)で読み方を確かめます。
公表10年の宿題は「PER」——成長期待を高められるか
伊藤座長自身、公表10年の振り返り(2024年5月)で、この10年の利益率・資本効率の改善は「特に低PBR企業においては、コストカットや自社株買いなど、短期的な対応によるものだったのではないか」とし、それらの企業のPER(将来の成長期待)は高まらなかったと指摘しました。株主還元は増えた一方、人的資本を含む成長投資への配分が足りなかったという問題提起です(経済産業省「伊藤レポート以降の10年間の振り返り」)。
同じ資料は、持ち合い株が経営者への規律付けを弱めている可能性にも触れています。

株式の持ち合い・政策保有株とは|都銀・地銀の保有比率は15.7%→1.7%、トヨタ3.66兆円の解消事例と株価への影響
株式の持ち合いは、企業同士が互いの株を持って安定株主になる慣行です。都銀・地銀等の保有比率は1990年度15.7%から2025年度1.7%へ(JPX調査)。政策保有株式との違い、解消の売りが株価に与える影響、有報での調べ方をトヨタ・大林組の実例で解説します。
2026年7月のコーポレートガバナンス・コード改訂も、「専ら株主還元に頼るなど短期目線でふるまうのではなく」成長投資を求めています(金融庁・東証 改訂の趣旨 p.1)。
市場全体の加重PERは、2024年8月の16.8倍から2026年8月には20.8倍に上がっています。振り返りが問題にしたのは、2014年からの10年で低PBR企業のPERが伸びなかったことです。ROEを8%前後に保ったうえで、成長の道筋を示してPERを高められるかが、個々の企業に問われています。
伊藤レポートの視点で銘柄を選ぶ5つのチェック
伊藤レポートの考え方は、個別銘柄を見るときの物差しとしてそのまま使えます。
ROEが8%を3〜5年続けて上回っているか:1年だけの8%超えは、特別利益や一時的な好況のことがあります。数年分の決算を並べて確かめます
ROEの中身は利益率か、レバレッジか:同じ10%でも、売上高利益率で稼ぐ会社と、借入や自社株買いで自己資本を薄くした会社では持続性が違います
資本コストを自社で示しているか:東証の要請に沿って、資本コストの見積もり・ROEの目標・達成時期を開示しているか。開示企業一覧表とコーポレート・ガバナンス報告書で確かめます
利益の使い道のバランス:自社株買いだけでROEを上げていないか。設備・研究開発・人材への投資計画(キャピタルアロケーション)を説明しているかを見ます
人的資本・無形資産の開示:有価証券報告書の「サステナビリティに関する考え方及び取組」欄で、人材戦略とその指標を具体的に書いているかを見ます
ROEを売上高利益率・総資産回転率・財務レバレッジに分けると、2つ目のチェックが数字でできます。

デュポン分解とは|ROEを3分解・5分解、大成建設のROE18.7%を本業・株式売却益・レバレッジに分ける
デュポン分解はROEを純利益率×総資産回転率×財務レバレッジに分ける方法。5分解では税・金利・本業の利益率まで見える。ROE11〜14%のキーエンス・サンドラッグ・東急不動産の違い、大成建設のROE18.7%の内訳を決算短信の数字で解説。
自社の資本コストをどう見積もるかは、WACC(加重平均資本コスト)の記事で計算方法を扱っています。

WACC(加重平均資本コスト)とは|計算式・CAPMの使い方・ROIC≧WACCの判定を図解
WACC(加重平均資本コスト)の計算式をCAPMモデルから順を追って解説。株主資本コスト・負債コスト・実効税率の求め方、ROIC≧WACCで測る価値創造の判定基準、業種別の目安まで、個人投資家が使える水準でわかります。
まとめ
伊藤レポートは2014年8月に経済産業省が公表した報告書(座長・伊藤邦雄)。「最低限8%を上回るROE」へのコミットと、企業と投資家の対話を求めた
続編は伊藤レポート2.0(2017年、無形資産・ESG)、人材版(2020年)・人材版2.0(2022年、人的資本)、3.0(2022年、SX)
報告書に強制力はなく、考え方を引き継いで企業に対応を求める仕組みになったのはスチュワードシップ・コード、コーポレートガバナンス・コード、東証の要請
東証一部・プライムの加重ROEは公表時の7.6%(2014年8月)→8.7%(2026年8月)(公表前の2013年8月は5.2%)。PBRは1.2倍→1.8倍で、公表時からの上昇にはROEよりPERの寄与が大きい。個社ではプライムでも4割強がROE8%未満
ROEを上げる手段は、自社株買い・増配・政策保有株式の売却(分母)と、事業の入れ替え・事業別ROIC・役員報酬(分子)。上場企業全体(金融除く)では利益率の改善が主で、財務レバレッジはむしろ低下
個々の企業に問われているのは、ROEを保ったうえで成長期待(PER)を高められるか。銘柄はROEの持続性・中身・利益の使い道で見る









